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18th August 2017 Tokyo, Japan

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by Paul Madden

British Ambassador to Japan

広島、長崎、西日本への訪問

今月、広島(8月6日)、長崎(8月9日)で原爆の日を迎えました。私は他の大勢の大使と共に両都市での平和祈念式典に参列しました。首相、両市の要人、被爆者の方々、こどもたちの代表によるスピーチが行われ、厳かで心に迫る式典でした。広島では、ディナーの時にお隣にお座りの85歳の被爆者の方がご本人の経験をお話しくださいました。心にしみました。 もちろん、大戦はどちらの側においても悲惨でしたが、日本は核兵器の被害を経験した唯一の国としての強い意識を持っておられます。広島平和記念資料館と長崎原爆資料館では、原爆の特別な恐ろしさ、その長く続く影響を見ることができます。平和記念式典において、両市長は核兵器の廃絶を呼びかける平和宣言を読み上げられました。世界各地の都市の市長も参列していました。長崎で私と隣同士に座ったマンチェスターのエディー・ニューマン市長もその一人です。 核兵器を廃絶する条約を支援する声は多く、先月、国連で多数の国によって制定されました。新聞のインタビューに応え、英国は核兵器がない世界を実現するという長期的な目標に向けて努力しており、核拡散防止条約の下で段階的に進展を成し遂げていくほかに核兵器廃絶の有効な方法がないと英国と他の責任ある核保有国が考える理由を、ご説明しました。 私は西日本にいる間に、その機会を活用して他の都市も訪問しました。昔は城下町であった美しい萩市では新しい日英協会が設立され、講演をしました。萩市は、1863年にロンドンに渡航した「長州五傑」を介して培った英国とのつながりを誇りにしておられます。この長州五傑の若者たちは、帰国後、日本の近代化を牽引し、明治維新(来年150周年を迎えます)後、50年間で日本を変革しました。 下関は、220年間の鎖国が終わった後、西側諸国に初めに開かれた港の一つでした。私はこの下関で市長とお会いし、素敵な旧下関英国領事館を見学しました。この建物は現在、博物館とレストランになっています。近くには、これもまた英国を思わせる、2階建てロンドンバスが置かれていました。 熊本では、副知事と市長にお会いし、昨年、大きな被害が出た地震の被災地を訪問しました。この震災では、50人の方がお亡くなりになり、4万人の方が家を失いました。日本で最高の建造物の一つである熊本城も視察しました。修復には20年程かかるそうです。ラグビーワールドカップが熊本で開催される2019年までの天守閣再建を皆さん願っておられます。最も被害が甚大であった益城では、地震で家を失った方々が住んでおられる仮設住宅を訪問し、学生ボランティアの方々とお話しをしました。県立美術館にも立ち寄り、ウェールズ国立美術館の作品を展示した「ターナーからモネへ―英国の至宝」を見学しました。 私の最終訪問地は、強大な薩摩藩の故郷である鹿児島でした。薩摩藩士は、最初こそ19世紀の海外からの「南蛮人」の到来に抗い、敵対しましたが、後には「薩摩藩英国留学生」を派遣し、産業革命について学び、明治維新の立役者となりました。現在は一般に公開されている美しい由緒ある島津家御殿で、私は、薩摩の藩主であった島津家のご当主とお目にかかりました。ご祖父様が皇太子時代のエドワード8世を歓迎されている写真を見せてくださいました。隣の博物館も訪れましたが、19世紀に英国から持ち込まれ日本人によって見事に適応された産業機械が展示されており、こちらの建物は世界文化遺産となっています。鹿児島日英協会の講演では、日英間の産業協力が今日も引き続き強力になっているとご説明しました。

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24th February 2017 Tokyo, Japan

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by Paul Madden

British Ambassador to Japan

英国の食文化はGREAT

「英国料理といえば、フィッシュ&チップスぐらいしか思い浮かばないですねぇ。」これは、2月22日(水)、私が公邸で主催したFood is GREATの夕食会の前に、フジテレビのレポーターと歓談している時の彼のひとことです。私は「それは昔話ですよ。」と応えました。なぜなら、最近の英国の食文化、即ち英国料理は、世界的に高く評価されるようになったからです。英国の有名なシェフたちによる数々のテレビ番組やレシピ本が大人気です。 今日、英国では、食材の品質、新鮮さ、安全性を重視します。欧州で第3位のオーガニック大国でもあります。食品産業が英国で最大の製造業であることは日本ではあまり知られていませんが、その対日輸出額は2014年の252億円から2015年は299億円へと、急激に伸びています。 日本の料理評論家やメディア、ブロガーや小売・飲食業の代表の方々が参加したこの夕食会では、私のシェフであるフレデリックと6人のシェフたちが創作した極めてクリエイティブなメニューが披露されました。彼らは、革新的な調理法や盛り付けにより、英国と日本の素材を融合させました。イベントを共催したウェッジウッドの質の高いお皿がコース毎に選ばれ、料理が提供されました。 この夜は大成功でした。参加された誰もが、「現代の英国の食文化は単にフィッシュ&チップスではない」と認識されたと、私は確信します。と申し上げましたが、個人的にはフィッシュ&チップも好きですよ。

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11th January 2017 Tokyo, Japan

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by Paul Madden

British Ambassador to Japan

思い出深い日本に再度赴任

初めまして。4年間の大役を務めあげた友人、ティム・ヒッチンズから引き継ぎ、私は新しい英国大使として1月に来日しました。今月18日の信任状奉呈式を経て、正式に就任します。 私が日本を初めて訪れたのは1982年で、欧州の若者向けのエッセイ・コンテストで優勝し、日本の外務省が企画した研修ツアーに参加しました。そこで私の人生が変わりました。日本という国に大変興味を持ち、当時勤務していた貿易産業省(DTI)で日本に関わる仕事をしたいと願い出たところ、日本担当課長に任命されました。そしてその後、英国の外務省(FCO)に出向、ロンドン大学で日本語を勉強し、日本の英国大使館に勤務することとなりました。 鎌倉の語学学校で一年間勉強した後、1989年から1992年まで駐日英国大使館で経済・貿易政策を担当しました。日本企業や日本人の国際化が進んでいたバブル経済真っ最中の日本で働けたことは、私のキャリアで貴重な経験となりました。平成の始まりにも立ち会いました。九州や北海道でのホームステイを含め、日本中を旅したことも思い出に残っています。伊東市で毎年開催される按針祭にてウィリアム・アダムス(三浦 按針)の役を演じたこともありました。 そして私の出身地であるイングランドのオタリーと、名前が似ている日本アルプスの麓の小谷(おたり)村を、姉妹都市として結ぶための手助けもしました。このように、仕事上のコンタクトだけではなく、日本の方々とも幅広く交流を持つことができました。 日本での経験があったこともあり、1992年以降もアジア太平洋地域への海外赴任が多く、シンガポール及びオーストラリアでは大使を務めました。正確には、両国とも英連邦の国なので、大使ではなく「高等弁務官」と呼びます。米国ワシントンの英国大使館で勤務していたこともあります。そのため、定期的に日本に出張や旅行で戻ってくることができました。また、2005年の愛知万博では、賞を受賞したイギリス館を責任者として率いました。 これからの4年間、ビジネス、外交、安全保障、科学技術など、幅広い分野において日本と英国の関係をより深めていきたいと思っています。そして、もちろん、2012年のロンドン大会の経験を生かし、英国は2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会が素晴らしいものとなるようサポートしていきます。 私も妻のセーラも日本に戻ってくることをとても心待ちにしていました。私たちの結婚生活は東京で始まり、また、長男も東京で生まれました。東京は私達にとって思い出深い場所なのです。

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