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広島、長崎、西日本への訪問

今月、広島(8月6日)、長崎(8月9日)で原爆の日を迎えました。私は他の大勢の大使と共に両都市での平和祈念式典に参列しました。首相、両市の要人、被爆者の方々、こどもたちの代表によるスピーチが行われ、厳かで心に迫る式典でした。広島では、ディナーの時にお隣にお座りの85歳の被爆者の方がご本人の経験をお話しくださいました。心にしみました。

もちろん、大戦はどちらの側においても悲惨でしたが、日本は核兵器の被害を経験した唯一の国としての強い意識を持っておられます。広島平和記念資料館と長崎原爆資料館では、原爆の特別な恐ろしさ、その長く続く影響を見ることができます。平和記念式典において、両市長は核兵器の廃絶を呼びかける平和宣言を読み上げられました。世界各地の都市の市長も参列していました。長崎で私と隣同士に座ったマンチェスターのエディー・ニューマン市長もその一人です。

核兵器を廃絶する条約を支援する声は多く、先月、国連で多数の国によって制定されました。新聞のインタビューに応え、英国は核兵器がない世界を実現するという長期的な目標に向けて努力しており、核拡散防止条約の下で段階的に進展を成し遂げていくほかに核兵器廃絶の有効な方法がないと英国と他の責任ある核保有国が考える理由を、ご説明しました。

私は西日本にいる間に、その機会を活用して他の都市も訪問しました。昔は城下町であった美しい萩市では新しい日英協会が設立され、講演をしました。萩市は、1863年にロンドンに渡航した「長州五傑」を介して培った英国とのつながりを誇りにしておられます。この長州五傑の若者たちは、帰国後、日本の近代化を牽引し、明治維新(来年150周年を迎えます)後、50年間で日本を変革しました。

下関は、220年間の鎖国が終わった後、西側諸国に初めに開かれた港の一つでした。私はこの下関で市長とお会いし、素敵な旧下関英国領事館を見学しました。この建物は現在、博物館とレストランになっています。近くには、これもまた英国を思わせる、2階建てロンドンバスが置かれていました。

熊本では、副知事と市長にお会いし、昨年、大きな被害が出た地震の被災地を訪問しました。この震災では、50人の方がお亡くなりになり、4万人の方が家を失いました。日本で最高の建造物の一つである熊本城も視察しました。修復には20年程かかるそうです。ラグビーワールドカップが熊本で開催される2019年までの天守閣再建を皆さん願っておられます。最も被害が甚大であった益城では、地震で家を失った方々が住んでおられる仮設住宅を訪問し、学生ボランティアの方々とお話しをしました。県立美術館にも立ち寄り、ウェールズ国立美術館の作品を展示した「ターナーからモネへ―英国の至宝」を見学しました。

私の最終訪問地は、強大な薩摩藩の故郷である鹿児島でした。薩摩藩士は、最初こそ19世紀の海外からの「南蛮人」の到来に抗い、敵対しましたが、後には「薩摩藩英国留学生」を派遣し、産業革命について学び、明治維新の立役者となりました。現在は一般に公開されている美しい由緒ある島津家御殿で、私は、薩摩の藩主であった島津家のご当主とお目にかかりました。ご祖父様が皇太子時代のエドワード8世を歓迎されている写真を見せてくださいました。隣の博物館も訪れましたが、19世紀に英国から持ち込まれ日本人によって見事に適応された産業機械が展示されており、こちらの建物は世界文化遺産となっています。鹿児島日英協会の講演では、日英間の産業協力が今日も引き続き強力になっているとご説明しました。

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