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思い出深い日本に再度赴任

初めまして。4年間の大役を務めあげた友人、ティム・ヒッチンズから引き継ぎ、私は新しい英国大使として1月に来日しました。今月18日の信任状奉呈式を経て、正式に就任します。

私が日本を初めて訪れたのは1982年で、欧州の若者向けのエッセイ・コンテストで優勝し、日本の外務省が企画した研修ツアーに参加しました。そこで私の人生が変わりました。日本という国に大変興味を持ち、当時勤務していた貿易産業省(DTI)で日本に関わる仕事をしたいと願い出たところ、日本担当課長に任命されました。そしてその後、英国の外務省(FCO)に出向、ロンドン大学で日本語を勉強し、日本の英国大使館に勤務することとなりました。

鎌倉の語学学校で一年間勉強した後、1989年から1992年まで駐日英国大使館で経済・貿易政策を担当しました。日本企業や日本人の国際化が進んでいたバブル経済真っ最中の日本で働けたことは、私のキャリアで貴重な経験となりました。平成の始まりにも立ち会いました。九州や北海道でのホームステイを含め、日本中を旅したことも思い出に残っています。伊東市で毎年開催される按針祭にてウィリアム・アダムス(三浦 按針)の役を演じたこともありました。

そして私の出身地であるイングランドのオタリーと、名前が似ている日本アルプスの麓の小谷(おたり)村を、姉妹都市として結ぶための手助けもしました。このように、仕事上のコンタクトだけではなく、日本の方々とも幅広く交流を持つことができました。

日本での経験があったこともあり、1992年以降もアジア太平洋地域への海外赴任が多く、シンガポール及びオーストラリアでは大使を務めました。正確には、両国とも英連邦の国なので、大使ではなく「高等弁務官」と呼びます。米国ワシントンの英国大使館で勤務していたこともあります。そのため、定期的に日本に出張や旅行で戻ってくることができました。また、2005年の愛知万博では、賞を受賞したイギリス館を責任者として率いました。

これからの4年間、ビジネス、外交、安全保障、科学技術など、幅広い分野において日本と英国の関係をより深めていきたいと思っています。そして、もちろん、2012年のロンドン大会の経験を生かし、英国は2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会が素晴らしいものとなるようサポートしていきます。

私も妻のセーラも日本に戻ってくることをとても心待ちにしていました。私たちの結婚生活は東京で始まり、また、長男も東京で生まれました。東京は私達にとって思い出深い場所なのです。

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